Shangri-Ra

アラサー女子世界一周ひとり旅の記録

旅と諦念

世界一周を決意したきっかけは、結婚を考えていた恋人との別れだった。恋人と私は秋から一緒に暮らしはじめる予定だった。次の冬にアルゼンチンに行きたいというのは私のかねてからの希望で、職場も恋人も2ヶ月なら待ってくれるといった。だから私はさくっとアルゼンチンに行って、しれっと日常に戻ってくるつもりだった。

けれども、私の日常は脆くも崩れ去ってしまった。私を待っている人はいなくなった。そう考えたとき、急いで2ヶ月で戻ってくる意味を見失ってしまった。もちろん、仕事は大事だ。けれども、仕事のためだけに旅を早く切り上げて帰ってくるのはなんか違う気がした。せっかく南米までいくのなら、もっとゆっくり回ってみてみたい世界が私にはあった。

周りの同い年の友達が結婚生活やら子育ての悩みを抱える中で、最近の私の専らの悩みは旅先の南京虫対策と高山病対策のことで、冷静に考えるととてもシュールだ。33歳にもなって、なにをやってるんだろうと思わなくもない。でも、結婚も出産も選ばなかった私がその隙間を埋めるためにできることといえば世界一周ぐらいしかないので仕方が無い。世界一周は私にとっては夢よりも諦念に近い。

思えば、高校生のときにアルゼンチンに留学したときも、25歳でホームレス支援のために北九州に移住したときも、30歳で門司港でシェアハウスを立ち上げたときも、決して夢いっぱい希望いっぱいではなく、できることなら逃げたい、けれども立ち向かわなければいけないという謎のマインドで突き進んでいたことを思い出す。 

そんな私をかろうじて支えているのは思いがけない方向に突き進んだ先での思いがけない出会いだ。人生は予測コントロールできるほど単純ではなく、次の人生の指針はいつも思いがけない場所で密かに眠っていることをこの身でずっと体感してきた。

この旅で私が何を得ることができるかなんて、今いる場所からでは全くみえない。旅に出ることでしかみえない景色を私はみてみたいと思う。